KuTooとかいろいろ

 
職場で私が入社した頃から愚痴を言いあう仲だった女性(私の8歳 上)がいる。

愚痴を聞くのはいいのだけど、 本当に生産性の無いことで悩んでいて、 もはやうぬぼれに繋がってる。

 

いまも60近い正社員女性が彼女のせいにして休みをとろうとしたり、

それが人事に伝わって大ごとになったりしてるそうで、『 あの人は私の存在が負担だって言ってるみたい』と相談してきた。

からしたら、 何でそんなアホな人の言うことに一々腹を立てるのだろう? アホだな~と思って冷たくあしらえばいいのに、と思うのに、

結局その正社員女性に媚び諂ってるらしい。

 

上記のような内容をアドバイスしたら、気に障ったみたいで『 愚痴ってすみませんでした。』って。

んんん~・・・彼女の気持ちに寄り添えなかったみたい。

 

 

そしてKuTooに感じる違和感。

ヒールを強制させる社会が女性差別だとしてMeTooに倣った運 動があるらしい。

ヒールを強制する会社が存在しているなんて聞いたことがないのだけど(エアラインも今はピンヒールではないよね)そういう会社があるらしい。

 

ツイートみてたら、 発起人は結局活動しつつヒール履いて仕事してるみたいだし、 何で個々人レベルで動けないんだろうと思う。

いや、別に葬儀のときに葬儀屋の靴なんて見てないしさ、 シレーっと反抗してレースアップシューズでも履けばよいんでないの・・・?

私は身体のことがあるからヒールは履けません、 って宣言するなり。

それでも色々言ってくるなら個人レベルで訴訟でも起こせばいい。

 

なのにまるでチェゲバラのような革命家かのように、 正義感をふりかざすのかがよくわからない。

私もヒールは好きじゃないから、 職場まではスニーカーで職場できれい目な靴に履き替えるというNYスタイルを倣ってるし、

日本に帰国してもそうしようと思ってる。 誰が何と言ってこようと、その方法でTPOはわきまえられてると思うから。

 

でもかと言ってそれで社会のTPOに関する価値観を変えようと思 わないし、 そう思うのはちょっと承認欲求が強すぎるのではと思ってしまう。

男性だって新しい革靴買ったときはマメ作りながら革がなじむまで修行のように履いてるでしょ。

それをまるで女性だけが苦痛を強いられてるかのように性差別に結びつけるのはちょっと無理があるのでは。

 

KuTooを支持する人たちは、 友人の結婚式にもレースアップシューズとかで行くのかな。

ドレスコードはTPOとして必要だと思うのです。

結局ひとりで意思を持って行動できない(≒ 厚労省のお墨つきがないと職場でヒール以外の靴を履けない) 人たちが日本人女性に多いんだなぁって冷めた目で見てしまう。